清林寺沿革
浄土宗・清林寺は、東梅山花陽院清林寺と号す。
その創建は、文明十五 (1483)年で、鎌倉光明寺八世貫主の
祐崇上人によって開山された。
清林寺は当初、武蔵国豊島郡
神田三河町四軒町にて境内1080坪の拝領を受けて創建された。
その後、清林寺は慶長18(1629)年に神田三河町四軒町から
神田川柳原移転し、慶安元(1648)年に、現在清林寺が所在している
駒込蓬莱町(現・東京都文京区向丘2-35-3)に移り、創建時の如く1080坪を拝領し、
今日に至っている。
江戸の元禄時代より清林寺は、「江戸三十三か所観音札所」の一つとされ、今日までその伝統は続いている。 また近代においては、明治維新による廃仏毀釈をはじめ、大東亜戦争において米軍機による東京大空襲で罹災するなど受難の時があったものの、戦後の再興を経て現在へと、約530年間の伝燈が続いている。 清林寺を創建した祐崇上人は、応享11(1439)年13歳で鎌倉光明寺七世照山慶順上人の下で剃髪受戒された。
その後、佑崇上人は、若干27歳で千葉の木更津に選択寺を建立したる それ以来祐崇上人は、京都山城に永養寺を起立し、文明14(1482)年に鎌倉光明寺八世貫主となられた。 祐崇上人の代となってからの光明寺は、関東六派の本山号を賜った後、慶長13(1608)年、徳川家康によって関東十八檀林の首位とされ、関東における浄土宗の中心となった。 祐崇上人が鎌倉光明寺八世貫主となられてすぐ建立された寺がまさしく清林寺であった。
清林寺に続いて祐崇上人は、品川に願行寺を創建された。 明応4(1495)年に祐崇上人は、宮中に上洛参内し、天皇陛下に21日間におよぶ阿弥陀経講義をされた。
ところで、今日の清林寺においては、春のお釈迦さまのお誕生日にはサントリーホールにおいて「花まつりコンサート」を、秋には読売ホールにて各界で活躍する著名文化人を講師に迎えて「秋の講演の夕べ」を開催するなどの文化活動を毎年行っている。 その他、清林寺の境内において飛鳥様式による三重塔の復元建築の建立を発願し目下鋭意その建設中である。
また清林寺から世界平和を祈念して、その教えを世界に発信すること実現するべく英語、ロシア語、ラテン語など、25カ国語に翻訳した『般若心経』その他の仏教書の刊行をするなどの出版活動を行うと共に附属機関として、「宗教文化科学研究所」を開設して仏教経典はじめ宗教、文化、歴史などを中心とした研究活動も行っている。